第一章
1964年9月8日、体重4100グラムで1人の男の子が生まれました。これからこの男の子はどの様な人生を送っていくのでしょうか。
彼は五人家族の次男として生まれてきました
。生まれる前母親は死ぬ死ぬと言いながら私を産んだらしいです。初産でもないのに?
それほど大きくて大変だった様です。
生まれて来た子はそれはそれはとても可愛い😍男の子ではなかったそうです。
大きいせいか顔がむくんで二頭身みたいで母親の祖母がなんでこんな器量の悪い子を生んだのかーいと罵ったくらいだそうです。
それが私鈴木宏尚の人生の第一歩でした。
私は順調に普通に大きくやんちゃに育ちました。
保育園に通っていた時は雛祭りの時期に🎎雛壇の雛の刀を盗んで家で弟とチャンバラごっこをしたくてポッケに入れ帰ろうとした時バレてこっ酷く叱られて保育園から逃げ出した事がありました。
それがきっかけ保育園を追い出され幼稚園に転園、そこでみんなはバス通学なのに私は徒歩で通っていてどうしても乗りたくてバスを追いかけてしがみついて離れないそんな園児でした。
結局最後まで徒歩で通学でしたがそんな悲しい思い出があります😢
小学生に上がりそして初恋を経験、同級生の安子ちゃんだったと思います。
好きでたまらなくてお掃除する時椅子に彼女のカーディガンが掛けてあったのを後ろに寄せるフリをしてよく抱きしめていた事お記憶してます。今思うとど変態ですね😅
それから私は野球をするようになりリトルリーグ、そしてシニアリーグ、高校野球と進み甲子園を目指しましたが埼玉のベスト8が最高でした。
野球漬けの青春時代だったと思います。今思えばその時間バイトに注ぎ込めばどれだけ稼げたでしょう(何百万)笑笑
高校卒業まで彼女らしい彼女はおらず(片思いだらけ)大学にはいりました。そこからデビューが始まります。
夏には豊島園のプール監視員をバイト(その時女子高生に写真撮らせてくださいだって、ほんまですか笑笑)
冬は斑尾高原でペンションの住込みのバイトで研修できた女子大生とxxと彼女も出来てとても楽しい学生生活を送っていました。
そしてその頃映画のフラッシュダンスが流行ってジャズダンスブームが巻き起こります。
なんと今では認知症を患っている母親ですが当時飯能のジャズダンスチームに所属してました😅そこでジャズの先生が女性ばかりなので男性が欲しいとの事で母親から誘われて入会したので私のダンス人生の始まりでした。
当時19歳だったと思います。周りは二十歳過ぎのOLさんばかりで当時はレオタード姿がとても眩しかったです😍
第2章へと続く
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